2016年1月27日水曜日

何を成すか、何を遺すか

冷静になってみると色々見失っていた。何を大切にすべきなのか。俺にとって大切なものは何か。言ってみると当たり前のことだけど俺はまず家族とその生活を大切にしなければならない。そしてその生活を維持するための仕事を大切にしなければならない。その次に俺自身がある。ここ数ヶ月完全にそれを見失っていた。
落ち着いてここ一週間ぐらい、仕事を優先的にこなすことができている。とても調子がいい。オンラインゲームに没頭することもないし彼女のことで気を揉むこともない。そうして気づいたことは退屈だということ。ただ生活を維持するだけというのはものすごく退屈。
漠然と思い続けていることは何かを成したいし、何かを遺せるなら遺したい。32のいい年したおじさんがよく恥ずかしげもなくこんなこと宣う事が出来るなと自分でも思う。まぁ思ってしまうのは仕方ない。俺は自分が目指すべき目標というのが見えていない。そういう目標が欲しい。それで何かを成せれば上等だし、遺す事ができるならいう事はない。この目標が見えない状態、これはまさしく無教養ゆえの束縛された状態、つまり自由じゃないということに他ならない。
さらに恥ずかしげもなく言えば人の役に立ちたい。ただし人気取りをしたいということではない。今、現在、この世の中で何が起きているのか分からない。誰がどういう問題でどう苦しんでいるのかそういうことに目を向けるべきなのか。その問題に対して俺が出来ることは何かということを考えてみたいとも思う。
仮に問題が見つかったとしてその解決策を導けるのは教養なんだろう。過去を学んでいる必要があるはず。エンジニアリングできないといけない。帰納的に解決策を見つけるには過去を学ばなければいけない。演繹的に解決策を導くには冷静で論理的な記号操作的な考え方・物事の整理の仕方を身につけなければいけないはず。
俺に出来ることはなんなのか。